2010年10月25日 (月)

愛用品展示その4

社会教育演習も5年目をむかえ、例によって学生さんに筆箱の中の愛用品からテーマを抽出して、愛用品の展示を90分で作ってもらいました。今年の受講者は5人でひとり欠席、4人の作品をご覧ください。どれも、それぞれの個性が表現されていて、楽しいものです。

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2009年12月 4日 (金)

町のイルミネーション

P104086501P104087201P104085101P104084701P104087401_2 P104088301       今年も町のイルミネーションの季節になりました。今年は暖かく、毎年のように寒さに震えながらではなく、余裕を持ってぶらついてきました。昨年から地味になったのか、特に今年は地味で、あまり撮る所もありませんでした。たまたま、常盤公園の噴水がイベントをやっていたので、長撮りしまいました。

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2009年6月 1日 (月)

最後のゴムデール

Gomudale090602 今日、文具店の四葉商会の営業の方が私を訪ねてきました。彼は私に青のゴムデールを差し出し、「ペンテルの人から柴さんにゴムデールを預かってきました。」と言われました。彼によれば、ペンテルの営業の人と会った機会に私のことを話したところ、会社に残っていたゴムデールを探してくれて、最後となったこの1本のゴムデールを私にプレゼントしてくれたそうです。

私はこのブログで以前にも書きましたが、現在でもゴムデールの愛用者で、ゴムデールは私のフィールドワークには欠かせない一品です。販売中止ということを知り、残っていたものをさがしましたが、どういうわけか青のボディーのゴムデールだけ見つかりませんでした。しかし、今日プレゼントされた「最後のゴムデール」は、なんと幸運にも、「青」のゴムデールでした。

Gomudale090601これで、赤、青、黄、緑、黒、そして白(白は贈答用として生産され店頭では販売されていない)のゴムデール全色がそろったことになります。青のゴムデールとともに、後継のTUFF0.5mもプレゼントしていただきました。しかし、この軸太のシャープペンは、ゴムデールと同様に消しゴムは出るものの、私の野帳カバーの鉛筆さしには入らないばかりか、本体から上部が外れやすく、私のフィールドワークではたぶん使用することはないと思います。

四葉商会の彼の話では、ペンテルでは贈答用の白も含めてゴムデールは本社展示場に展示してある以外に在庫がまったくなくなったそうで、今日頂いた青のゴムデールが会社に残っていた「最後の1本」ということでした。最後の光栄なるゴムデール、それも私の持っていなかった青のゴムデールを贈っていただき、ペンテルの方には大変感謝いたします。

私のブログでは、ゴムデールの愛用者がたくさん集まり、私のところに在庫があった時点では希望の方にお分けできました。販売される在庫がまつたくなくなった「ゴムデール」ですが、それがないと仕事に不便する人も含めて、まだまだその愛好者はたくさんおられます。今後、ゴムデール愛好者の声を集めて、「ゴムデール復刻版」の実現を可能なものにできればと思います。

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2009年4月 1日 (水)

大森貝塚とモース

Omori01 先日、大森に行ったときについでに、品川区の大森貝塚遺跡庭園によってきました。この貝塚を発見したモースは、魚の化石や氷河の研究で有名なアガシーの弟子で、明治初期の日本人の生活を知る貴重な資料である「モース・コレクション」の採集者でもあります。ここでは、エドワード・シルベスター・モース(Edward Sylvester Morse)について少し紹介したいと思います。

Omori02 モースは、1838年6月18日にアメリカのメイン州ポートランドに生まれ、少年時代から貝類の収集と分類に熱中していました。彼の採集と研究は、ハーバード大学ルイ・アガシー教授に認められ、アガシー教授は1859年から3年間彼の助手に採用しました。助手に採用されたモースは、ハーバードのLawrence Scientific Schoolで学び、1867年にハーバード大学のピーボディー博物館がセイラムにできたときに、アガシーの他の弟子とともにそこに勤めました。

モースがアガシーの助手になった1859年は、ダーウィンの「種の起源」が刊行された年でもあります。モースはアガシーから古生物学の基礎を学びましたが、進化論を受け入れなかったアガシーの考え方に疑問をもっていました。アガシーは、古生代に栄えた腕足類が現在では少なく、古生代からその形態をほとんど変えていないことから、進化論を否定する材料のひとつにしていました。そこで、モースは現棲腕足類を研究することが進化論の検証につながると考え、しゃみせん貝など現棲腕足類が多い日本を訪れました。

1877年の彼の39歳の誕生日に、モースは横浜港に着き、その翌日に汽車で東京に向かいましたが、大森付近でその左側の車窓から彼は貝塚を発見してしまいました。そして、9月にそこを訪れ発掘調査を行いました。それが大森貝塚です。

また、彼は江ノ島で貝類の採集中に、東京大学で動物学を教えることを依頼され、7月から大学で講義を行いました。同時に、日本初の臨海研究施設となる、江ノ島臨海実験所を設置しました。なお、彼は10月に日本ではじめてダーウィンの「進化論」を紹介した講演を行っています。

1979年6月に“Shell Mounds of Omori”という大森貝塚の発掘報告書を発行し、日本列島における石器時代の存在を立証するとともに、貝塚から出土した土器の縄目文様に注目しました。モースは、1879年9月はじめに帰国し、1880年にピーボディー博物館の館長となりました。

モースは生物学や考古学のみならず、日本の陶磁器や民具にも強い関心を持っていて、滞在中に日本各地を旅行して住居、服飾などのスケッチ、図面や写真を数多く残し、多くの陶磁器や民具、生活雑貨まであらゆるものを収集しました。1882年には収集のため再来日して、これらをボストン市に持ち帰りました。これらのものは、現在「モースコレクション」として、当時の日本人の生活を知る貴重な資料になっています。

モースは、1902年に日本で調べたものも含めた現棲腕足類の報告を出版し、1914年までピーボディ博物館の館長を勤めました。そして、1925年12月20日にセイラムで死去しました。晩年、関東大震災で東京大学の図書館の蔵書が全焼したことを知ると、1万冊を超える蔵書を遺言で寄贈しました。

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2008年8月 5日 (火)

ゴウヤ

Goya01bGoya02bGoya03bGoya04b    我が家では、昨年からベランダでゴウヤ栽培をしている。夏のゴウヤ料理が好きなこともあり、また東側の窓から強い日差しが入るため、それを防ぐためにもゴウヤは最適だったからです。ゴウヤは成長が早く、暑い真夏にはグングン伸びて、また実もつぎつぎとなり、あっという間に大きくなる。実をとるのが遅れると熟しすぎて黄色くなってしまう。まだまだ、暑い日が続く。うちのベランダのゴウヤも、その季節のまっ最中です。

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2008年7月 3日 (木)

野帳の記載

【ビジネスメディア誠】や【マーケティング・ブレイン】といううウエブサイトで、マーケティングエッセイを連載している郷好文のページに、私の「野帳」が紹介されました。ついでに、野帳を書くためのゴムデールも紹介されていますので、このブログでも紹介します。

【ビジネスメディア誠】
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/03/news119.html
【マーケティング・ブレイン】
http://marketing-brain.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_8fd5.html

Fieldnote02Fieldnote03   野帳は私のフィールドワークにはかかすことができない、記載ノートです。野外での地質の観察やその記録をこのノートと地図に行います。基本は自分で歩きながら作成するルートマップですが、最近では1/2500の地図があり、その地図に書き込みます。しかし、地図では書ききれなかったり、またファイルされずなくなったりするので、できるだけ情報は野帳に書き込みます。また、観察の結果やそれにいたった考えなども書き留めておきます。少し余裕があれば、風景のスケッチもしたりしました。時系列のこのノートは私の調査記録そのものです。

Fieldnote01私の地質調査用の野帳は地学団体研究会の「頭とハンマーで」とタイトルのついた赤いA6版の野帳を、岩本鉱産物商会がかつて販売していた野帳カバーをつけて愛用しています。野帳にはルートマップや岩相柱状図、スケッチや気がついたこと、調査のまとめが書かれています。

Fieldnote04 地質調査だけでなく、博物館や恐竜展見学のときにも、展示場でルートマップを作成して記載し、展示場と展示の見取り図を作成したりします。方向はシルバーコンパス、距離は歩測、これもルートマップと同じです。

モンゴルのゴビ調査では、30分ごとにGPSで測定した位置と、その時の場所の地名、出来事、気がついたことなど、野帳に書き込んでました。風景のスケッチは、ランチの後などのほか、時間がなくても車の中からでもしました。現場で何を見て、何を記載できるかが、勝負です。その時の「時間」を大切に使いたいものです。
http://www.dino.or.jp/mongol/sketchbook.html

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2007年12月12日 (水)

お町のイルミネーション

Cnight071201Cnight071202Cnight071208Cnight071203    12月10日に静岡市街のイルミネーションを見に行ってきました。まず、常盤公園の噴水から、青葉通りを通ってクリスマスツリーなど、写真を撮りながらぶらぶらと、夜のお散歩でした。

Cnight071205Cnight071206Cnight071204Cnight071207     今年は、去年と違って全体に色がばらばらで、統一感がなく、あまりきれいではありませんでした。

シンボルがなぜかドラゴンで、ハートやシロクマなど、いて、テーマが今いちわかりませんでしたが、とりあえず、楽しめました。

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2007年11月25日 (日)

城北公園

0725tokiwa010725siciken010725kecyo01   今日は久しぶりの休日で、静岡市葵区の城北公園に散歩に出かけました。市街地に住んでいても、なかなか町に出かけません。出かけても、紺屋町や青葉通りくらいまでくらいで、駿府城の北側の浅間神社まで歩いていったこともこれまでありませんでした。朝10時ころ家を出て、まず噴水のある常盤公園を通り、映画街の七間町通りを通り、伊勢丹でハーレーの展示会を見ました。七間町のオギタ計測機屋さんをのぞいたら、クリノメーターを6000円で売っていました。

0725kawaciya010725sengen010725sengen02   県庁の前を通り、浅間神社への商店街通りに入っりましたが、おなかがへって、ちょうど河内屋さんという「ドラ焼き」屋さんの前に行列があったので、並んでドラ焼きを買いおやつにしました。浅間神社は、七五三でにぎわっていました。静岡平野の西側は浅間神社付近を頂点とする扇状地で、歩いていくと周りより高まっているのが実感できました。こんな風に道すがらあちこちと寄り道をして行ったため、目的の公園に着いたのは11時半ころになっていました。

0725johoku010725johoku020725johoku03   城北公園は、もともと旧制静岡高等学校、以前の静岡大学のあったところで、昭和43年に大学が有度丘陵山腹の大谷に移転したため、その跡地が公園に整備されました。この付近は閑静な住宅地で、公園も緑地として付近の人たちが訪れていました。公園の中には市立中央図書館や運動場もあり、最近では駿府公園から移設されたSL機関車も設置されていました。

帰りはどこかで食事でもと思ったが、近くのパン屋さん(モンパルナス)でパンと焼きそばを買い、そのまま家に歩いて帰り、一日ゆっくり過ごしました。

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2007年10月21日 (日)

卒研始動

Labo102001 来週に、卒研の中間発表がありますが、そのためもあり、うちの卒研もようやく始動しはじめたようです。これまで、まったくやってないとは言いませんが、今年は昨年よりもペースは遅く、卒研生の集中して何かをやっている姿がなかなか見えなかったような気がします。これは最近の傾向でもありますが、これまでの動きが散漫で、具体的なデータや成果がなかなか見えてきませんでした。なにはともあれ、あと3ヶ月ですので、これからもっとがんばってください。

Labo102002 研究室の外でなにか店を広げてやらやっているのは、貝化石グループです。彼らはもっか化石のクリーニング中なのです。なんで外でやっているのかよくわかりませんが、中は狭くて場所がないこともあり、また粉塵もでることからかもしれませんが、どうも彼らは外の方が落ち着くようです。とりあえず、とってもいっしよう懸命にやっています。

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2007年1月30日 (火)

卒論発表終了、ご苦労さん

今日、うちの学生の卒論発表が終わりました。卒論提出から4日で、準備するにはとても短かく、それでもぎりぎりでなんとかなりました。今日の彼らの発表には、いつになく私自身も緊張しました。提出から発表まで、ほとんど休みなしで、みんなよくがっんばりました。今日はぐっすり寝てください。

この2~3週間、卒論提出や発表という時間に迫られて緊張した時間を学生と過ごして、彼らの本当の性格や能力の一部に直接触れることができたような気がします。最初からこのようなかたちで研究を始めていれば、もっと彼らの力を伸ばせたかもしれないと思いますが、お互いに切羽詰らないとなかなか本音で付き合えないのかもしれません。

とにかく、学生さんにはまずいろいろな本を読んでもらいたい。そしてできれば、きちん通じる日本語を話したり、書けるようになっていてもらいたい。自分の健康を保ち体力をつけておくことのつぎに、本に書いてある文字をきちんと読める力さえあれば、大概のことは努力すればできるようになります。卒論は、あるテーマ(目的)を完成(克服)させるための最初の訓練(試練)だと思っています。

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