2009年8月12日 (水)

地震

2009年8月11日午前5時7分に駿河湾北部地下20 kmで地震があり、静岡市で震度5強、焼津市で震度6弱、地震の規模はM6.5でした。家では横揺れが激しく、戸を閉めていなかった食器棚から醤油さしがおちて割れました。

自然史博物館では、マンモスの肋骨が2本外れ落下していました。海洋科学博物館では水槽の水が揺れであふれたものの、大きな被害はありませんでした。水槽の方向などや揺らされた体験から、今回の地震はどうも東西方向の揺れだったようで、揺れた時間は5~10秒程度と長く感じました。

静岡県は東海地震が予測されていて、一般には地震が多いと思われているかもしれませんが、静岡県、とくに静岡市は地震がほとんどないところで、感じる地震が起こったのも3年ぶりぐらいで、震度6を超える地震はなんと65年ぶりのことだそうです。毎月のように地震に見舞われる東京と比べれば、静岡は地震がほとんどない、とても住みやすいところです。

地震には、海溝の大陸側前縁盆地で起こるM7~8の大規模な前縁盆地型地震と山地と盆地の境界で起こるM6~7の盆地型地震、火山や温泉と関連して起こるM5~6の群発地震などがあります。

今回の地震は、盆地型地震のひとつだと思われ、65年前に静岡平野と有度丘陵の境界(日本平の北側)で起こった静岡地震と同様のものと思われます。この盆地型地震は50年周期と言われ、私はぼちぼち危ないと思っていましたが、今回は有度丘陵の南側の海底で起こったもので、これであと50年は起こらないかもしれません。

地震については、それがなぜ起こるのかわからないもので、今回の地震も誰が予測できたでしようか。盆地型地震は、日本のどこでも起こる可能性があり、大規模地震に比べ規模は小さいですが、直下型のために被害は大規模になる可能性が高いものです。阪神-淡路地震も大阪湾を盆地とする盆地型地震で、大きな被害がでました。

今回の静岡の地震は幸い海底でおき、被害が少なかったことから、私たちは救われましたが、みなさんも地震に対する備えを心がけて命を大事にしてください。

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2007年10月16日 (火)

丹那盆地と丹那断層

今日はお休みだったので、丹那断層の写真を撮るついでに、奥さんといっしょに丹那酪農王国に行ってきました。

Tanna01_2   丹那断層は1930年(昭和5年)11月26日に起きた北伊豆地震のときに発生した断層のひとつとして命名された断層で、丹那盆地の北の田代盆地の西縁からほぼ南北に丹那盆地を通り、田野原南縁にかけて12キロの断層とされています。丹那盆地の南側の民家の断層箇所は、今では国指定天然記念物として公園として整備され、断層トレンチも保存されて、実際の断層露頭がみられるようになっています。

Tanna03Tanna02庭の部分の断層の方向はほぼ南北から丹那断層の一般的な走向である10度西程度の方向ですが、断層トレンチの露頭では東に20~40度の走向方向を示しています。また、この断層で接している地層は、東側は安山岩の基盤であり、西側は崖錐(古い地すべり)の地層で、この断層は、基盤と盆地の堆積物の境界に生じたものと考えられます。

丹那断層については、以前に論文で、実態は1本の連続した断層ではなく、主に基盤との盆地の地層との境界に生じた複数の断層を連続させたものという見解をしめしましたが、このトレンチの露頭を見て、さらにその考えを強くしました。

Tanna05Tanna06Tanna08   さて、丹那酪農王国ですが、花の温室で丹那牛乳でつくったソフトクリームを食べて、ビールやチーズのお土産を買って帰ってきました。今晩はオラッチェ・ピルツナービールをいただきます。

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2006年11月 8日 (水)

いざ房総へ

Umihob01Umihob02   房総半島で卒業研究をする学生さんがいるので、その現場を11月はじめに学生さんたちと見に行きました。横浜で東名高速を降りて、川崎から木更津へ、うみほたるは3度目です。1度は火山灰層を見にやはりこのような旅で、2回目は両親と。お昼に現地について早速調査をはじめました。メインのルートを入念に調べました。

Oharab01Umihob05Umihob04   3日間の旅で、このルートは結局全日訪れました。このルートも含め、この付近にはたくさんの薄い火山灰層がたくさんはさまれていて、中に特徴的な厚いものもあり、2日目からは側方に追跡することにしました。2日目に来たときに、年末に工事で露頭に金網をかぶせるということを聞いて、急遽3日目に有孔虫化石用の試料をサンプリングしました。

Umihob03Umihob07目的とした厚い火山灰層は、実は2層あり、両層の間は10mと、これらが同じ火山灰層とは到底呼べませんが、とりあえず2層をセットで追えればと調査しました。天気がよく、調査は朝から夕方まで十分にできました。2日の午後の地域では予想外のところでこの2層の火山灰層を発見できました。なんともまぐれ というか、努力の賜物というか、沢を超え、川を渡り、大発見の感動を味わいました。

2日目と3日目の昼食は近くにあった和食の上品な店でとりました。ここはマグロ丼などいろいろな定食が500円と安く、学生の半分が2人前食べていました。そのため、3日目にはマグロもご飯もなくなって店の人も困っていました。今度来るときには予約が必要ですが、私たちのために潰れなければよいですが・・・。食べるのに夢中で、写真がありません。

Umihob08_1 3日目の沢はブッシュとイノシシの足跡に守られた森で、ブッシュを掻き分け、イノシシの足跡におびえながら分け入ると、目的の下の火山灰層がありました 。なかなか面白いフィールドでした。卒論のフィールドワークもあと1ヶ月と残り少ないですが、一生懸命歩いて自分の力で成果を出してもらうようがんばってください。帰りのうみほたるではちょうど日没で、楽しい旅ができました。

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2006年8月14日 (月)

イイトミエンシスと手打沢不整合

8月の始めに学生たちと身延の調査に行ってきました。早川と富士川にはさまれた飯富から手打沢の地域は、昔から多くの研究者が地質調査や化石の研究を行っているところで、山もそれほど厳しくなく、いろいろな地層や岩石も出ていて、地質調査の演習の場としては絶好の場所です。

Teuchizawa01写真は手打沢の不整合とされている露頭で、学生たちがルートスケッチを書いているところです。この露頭は曙礫岩層とその下位の地層との不整合とされているものですが、私はこの上位の地層が曙礫岩層ではないと以前から思っています。前回の調査でもいろいろな意見があり、今回もこの地域を詳しく調べることになりました。

Iitomi01 この地域からは貝化石もたくさん分布していて、特に有名なのは遅沢の化石で、グリキメリスやアムシオペクテンがたくさん含まれています。写真はAmussiopecten iitomiensisで、いわゆる中新世末期の逗子動物群の代表的な化石です。鮮新世前期の曙礫岩層にも海生の貝化石が含まれることから、今から約300万年前までこの地域、およびここから足柄におよぶ広い地域が海だったことがわかります。

Limemisuishi01 また、遅沢砂岩層よりも古い火山岩からなる地層の分布する地域には、カキなどの化石を含む貝化石からなる石灰岩の転石あり、火山活動があった時期にはちかくに礁があった形跡もあります。もっとよく地層と化石を調べて、この地域のこの時代のことを知りたいと思っています。

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2005年12月12日 (月)

富士山の下に何がある

fuji051210b 写真は12月10日の三保真崎からの富士山です。数日前の雪も風でとんでしまいました。私たちは以前、富士山の南西側に分布する今から100万年くらい前の地層を調べていたことがありました。そのとき、芝川から富士宮にかけて分布する礫層が富士川より南側の同じ時代の礫層よりいやに緑ぽい色をしているのが気になっていました。礫層が緑っぽく見えるのは、含まれる礫が緑っぽいものが多いということで、どんな礫が含まれているのか調べてみました。

besyogrb 写真はそうとう以前に撮ったものですが、富士宮の別所というところの採石場の露頭です。礫層の上には古富士泥流が重なっています。ここをふくめ多くの場所で礫層の礫の種類を調べてみました。そうしたら、芝川から富士宮にかけて分布する礫層の礫は、富士川の礫の種類とまったくちがっていて、ほとんどが火山岩か凝灰岩(火山灰などがかたまった岩)で、砂岩や泥岩が少なく、閃緑岩などの深成岩や、数は少ないですが角閃岩相から緑色片岩相の結晶片岩という変成岩が含まれていることがわかりました。

besyo_shistbbesyo_shistsecb 写真は大き目の結晶片岩の礫とその岩石薄片です。このような結晶片岩はこの付近では珍しく、近くにはまったく分布する場所がありません。これらの礫をよく見ていくと、ちょうど丹沢山地の火山岩や深成岩、それと結晶片岩と似ているのに気づきました。また、丹沢山地の南にはちょうど数100万年~100万年ころに足柄層群という地層が堆積していて、そこの礫層の礫の種類と組成によく似ていることもわかりました。

gravityanom_fujib 結晶片岩はやわらかく、10kmも川で流されるとなくなってしまうことから、この石があった山は富士宮から少なくとも10km以内にあったことになります。富士山は5万年ほど前から噴火した山で、この礫層がたまった100万~70万年前には富士山はなかったので、おそらく富士山の下にあった山から運ばれたと考えました。すなわち、富士山の下には丹沢山地の延長があって、富士山はその上に噴火した火山ということになります。

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2005年12月10日 (土)

大崩海岸と高草山

IMG_8135bIMG_8138b 三保からの帰り、久能海岸を通っていると大崩海岸がきれいに見えました。今日の海は風が強く、風波が白くたち、色が濃い緑色をしてきれいだったので、大浜海岸で車を止めて海と大崩海岸の遠景を撮りました。大崩海岸からつづく花沢山、高草山、満観峰の地域には、今から約1500万年前に海底で噴出した溶岩など火山岩が分布していて、それらはその北に続く山地の名前をとって竜爪層群とよばれています。

IMG_5231bIMG_5229b 私が学生のころ、大学2年から大学院の2年までの5年間、この4km×4kmの狭い地域の海底噴出溶岩の中を友人たちと歩きまわり調査しました。焼津の浜当目海岸や小浜では、海底噴出の結果できた枕状溶岩が見られます。粘性の低い、流れやすい溶岩が海水と接すると急に冷えて表面が急に固まり丸くなろうとして、枕や俵のような形の溶岩ができます。浜当目では、その枕と枕の間をその溶岩より新しいマグマが通って固まったあとがみられ、溶岩が海底から洪水のようにしみ出してきたようすがわかります。

IMG_8143b 大崩海岸の急崖では一度転落しかけたこともありましたし、友人たちとの楽しかった調査のいろいろな思い出があります。今、住んでいるところからは、花沢山、高草山、満観峰などの峰が見られ、見るたびに少し懐かしく思っています。

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2005年11月27日 (日)

ウニの化石と相良油田

今日は磐田南高校で静岡県地学会年会の年会が開かれたので学生3人とともに出かけました。途中早めに掛川を通過したので、ウニやクモヒトデの化石が発見された造成地の露頭を見に行くことにしました。

IMG_7684bIMG_8028b  ここは、私たちが掛川層群の上内田層とその上位に重なる海進期堆積体の大日層との境界付近と考えているところで、露頭でも北傾斜の泥層の上位に南傾斜の砂をはさむシルト層が重なっていて、上位の地層にウニの化石などが産しました。すでに化石の産した地層は工事で消失していましたが、産した化石が珍しいことと、産した層準や環境も化石ができる状況を理解するのに重要な意味をもつように思われます。

sagarawellb さて、地学会の年会ですが、特別講演として石油資源開発の加藤氏による「石油探鉱」の話があり、最後に相良油田の油は相良層群が根源岩ではなく、もっと下位の古い地層から長距離移動してきたといわれました。おそらく、倉真層群や大井川層群の泥岩が根源岩の可能性があるそうです。私は、相良の油は相良層群の泥岩層が根源岩と漠然と思っていましたが、そう考える必要がないということでした。

加藤さんは掛川地域にも詳しく、いろいろとお話をしているうちに、これまでの私の掛川地域の地質についてもっていた疑問のいくつが解けてきた気がしました。

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